日常の暮らしの中で、病気にかからなければ、怪我をしなければ、その立場に自分が立たされなければ気付くことができない、そんな気持ちや感覚に、ふと気付かされることが度々あります。
私、約10年程前はミュージシャンを夢見て関西方面にてメンバー3人構成でバンド活動をしていたのですが、その時の出来事でございます。ある日、関東の方へツアー回りでライブをし、関西へ帰る夜の道中、高速道路での出来事でした。不注意による単独事故でガードレールにぶつかり、そのまま車は大破。幸いメンバー全員命には別状なかったのですが、事故の衝撃で意識が朦朧としていたため、その時何が起こったか状況を理解するまでに少々時間がかかると同時に不安や痛みが交わり、身体的苦痛以上に精神的苦痛を受けました。
そして、そのような中何を思ったかと申しますと、家族や周りの方々の愛情であり有難さでした。
あの時の感情を表現するのは難しいですが、安心感を求めていたことだけははっきりと覚えています。友達と駆けずり回った懐かしいあの風景。生まれ育った実家の風景。そのことを考えますと常に待っていてくださる、見守っててくださる家族や周りの方々の温かいところに帰りたいと想ったことです。
それと同じく「帰ることができる」ということが、今の私を支えていてくださっているということを感じたことでございます。
お浄土という仏さまの世界には、懐かしい方々が待っていてくださいます。
今ここに「南無阿弥陀仏」と阿弥陀様がご一緒くださりながら、必ずお浄土に連れ帰ると私に告げてくださいます。
必ず帰って行ける場所(家)「お浄土」を聞かせていただき、想いを馳せる中に安心をいただく。
お浄土の尊さを味わわせていただいたことでございます。
本願寺鹿児島別院 藤枝泰了
