時々、あの時に戻れたら…と思うことがある。しかし、あの時に戻れないから、今があるとも言えるような気がする。
私はドラえもんに出てくるタイムマシンを見るといつもドキドキする。特に過去に行くような話があると、過去を書き換える話になったりしないかと心配してしまう。石ころひとつ動かすだけで、人生が変わる人があるかもしれない、ましてや自分が子供の頃の親やおばあちゃんに会うなんて危険極まりないと思うととてもドキドキしてしまう。
同じ理由で、バック・トゥ・ザ・フューチャーも安心して見ることができない。過去にあったものが未来に行ったり、未来にあったものが過去に来たりと、よく考えると設定がおかしいことも多い。このことをいちいち突っ込むと、家族からは「なに映画のことに真剣に突っ込んでんの」と笑われてしまう。確かにその通り。
いつだったか、法事をお勤めした後、「お坊さんに聞きたいことがありますか?」と言うと、制服姿の女子高生が「運命って仏教の考え方の中にありますか?」と尋ねられた。しばらく考えたのち、仏教的に先のことが決まっているなどと言うことはありません。しかし、起こったことは、起こるべくして起こったと考えるんです、と答えた。
私たちの人生は、たまたまそこにいたから、あと一分遅かったら、あるいは早かったらと言うようなことがある。時には命に関わるような重大なこと、人生を左右するような大きな出来事もある。あの時こうしていたら、と後悔するようなこともたくさんある。しかし、どんなに辛く悲しい出来事でも、起こったことは起こったこととして受け止めて生きていくしかないと言うのが仏教的な考え方かな、と話した。
あらゆるものは縁によって生じる。物事が起こる時には、起こるだけの縁が整ったということ。それが私の都合で、いいこと悪いことと受け止められるだけ。そういう意味ではとても厳しい教えかもしれないけど、そういう世界が私たちの生きているこの世界であるということ。そして、そんな私たちのことを放って置けないとはたらいてくださる阿弥陀如来があって下さるとのこと。
厳しい真実の真っ只中の私に、優しいお慈悲が一緒に感じられる、そんな仏教がとても好きだ。そんな私が袈裟を着て、その喜びを伝えられたらいいなと今日もお坊さんやってます。
薩摩川内市 善福寺 岡田晃昭
