先日、本棚を整理していたところ、積ん読になっていた本を見つけました。
パラパラとめくっていると、「仕事とは何か?仕事とは誰かの役に立つこと」という一文がありました。
仕事といえば、給料を得るため、生活のため、やりがいのため…そんな風に考えていた私にとって、この言葉は新鮮な視点でした。今まで自分の中にはなかった価値観に触れ、ハッとさせられると同時に、深い感銘を受けました。
確かに、私たちは誰かの仕事に助けられて生きています。
毎日食べるものも、電気も水も、自分で作っている人は少ないでしょう。
原始時代とは違い、現代社会では全てを自分一人でやることはできません。
何かやりたいことや困ったことがあったとき、自分ではできないことは、他の人の仕事に助けてもらいます。
購入やサービスにはお金を支払います。
お金を払うことは、こうした誰かの仕事への「ありがとう」の気持ちを表すことでもあります。
「自分ができないことややりたくないことをしてくれてありがとう」「欲しいものを提供してくれてありがとう」そんな感謝の気持ちをお金で表しています。
仕事を通して助け合うことで、私たちは生きているのです。
「ありがとう」という言葉は、「有り難し」から来ています。
「有り難し」とは、「有ることが難しい」つまり「滅多にない」「珍しい」という意味です。
仏教では、すべての存在は縁によって生じていると考えられています。
つまり、私たちが今ここに存在していること、そして、日々、生活するうえで当たり前のようなことは、決して当たり前ではなく、様々な縁によって成り立っている奇跡なのです。
仏教では、私たちが「有り難い」ことを「当たり前」だと勘違いしてしまう事を教えてくれます。
私たちは、毎日当たり前に食事をし、電気を使い、水を使っていますが、これらは決して当たり前ではありません。農家の方々が丹精込めて作った作物、発電所で働く人々の努力、水道局の職員の方々の尽力があってこそ、私たちの生活は成り立っているのです。
「ありがとう」という言葉は、そのことに気づかせてくれる仏さまの教えです。
俳優の藤岡弘さんは、コーヒーを淹れる際に「ありがとうありがとうありがとう...」と感謝の言葉を口にするそうです。
それは、コーヒー豆を育ててくれた人、焙煎してくれた人、そして目の前にある一杯のコーヒーを淹れることができた自分自身への感謝の気持ちの表れです。
誰かの仕事によって生み出された一杯のコーヒーには、たくさんの人々の想いや努力が込められています。
「ありがとう」という言葉は、そうした目には見えない繋がりを意識させてくれるものすごい力をもった言葉だと思います。
「ありがとう」と言うとき、私たちは、普段は意識しない「有り難い」存在に気づくことはなかなか難しいものです。
「本当は当たり前ではない」という事を忘れないよう、常々思い、感謝の気持ちを言葉や行動で表現することで、日々を丁寧に生きていきたいと思います。
大崎町 南光寺 濱上智正
