皆さん、ご飯は好きですか。私は好きです。毎日ご飯の時間が楽しみです。浄土真宗ではご飯を頂く前に「食前のことば」そして、頂いた後に「食後のことば」を言います。食前の言葉と食後の言葉を紹介します。
「食前のことば」
多くのいのちと、みなさまのおかげによりこのごちそうをめぐまれました。深くご恩をよろこび、ありがたくいただきます。
「食後のことば」
尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。おかげでごちそうさまでした。
仏教ではもともと食事も大事な修行です。浄土真宗では、悟りを開くための修行というのは行いませんが、その精神は大切にしているように思います。
もう大分前のことですが、私はお得度と呼ばれる出家の儀式を受けました。西山別院にて10日間、仏教の教えを学び、お経のとなえ方を練習しました。お得度中はたくさんの僧侶と寝食を共にします、当然食事も一緒になるのですが、お得度中の食事にはある決まりがありました。それは「一切しゃべらない」ということでした。指導する先生が最初にこの取り決めを言ったときは驚きました。もちろんここ数年はコロナということもありましたので、黙食にあまり違和感のない人も多いと思います、ですが、当時はコロナ等の大きな感染症は未経験でした。だから食事は誰かと話をしながら頂くのが自然であり、一切しゃべらないでご飯をたべるという事は経験がありませんでした。黙って静かに食べるのはなぜか、きちんとした理由は分かりませんでした。先生は多くを語りませんでしたし、私も昔からの習慣で決まっている事なのだろうと、深くは考えませんでした。ですが、最近になってある絵本を通して一切しゃべらない事の意味を知らされたように思います。
その絵本は「いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日(原案:坂本義喜、作: 内田美智子)」です。この絵本は、生き物の命を絶つという事、その苦悩に向き合う人々の姿が描かれています。みいちゃんと名前をつけて、大切に育ててきた牛を生活の為に手放さなければいけないご家族や納得をしながらもその事に耐えられない幼い娘さん、そして、本当は動物の命を絶つ事などしたくないけれども誰かがしなければならない事として仕事に徹する坂本義喜さん、それぞれの葛藤が丁寧に描かれているように感じました。話の最後にお肉になったみいちゃんを食べるシーンがありますが、娘さんは涙を流しながら頂きます。悲しいながらも牛のいのちが女の子の中で静かに大きくなっていくような有り難さがありました。
命は大切です、誰しもが自分の命を失いたくないと生きているのではないかと思います。ですが、私たちは食事をします。食事を通して多くの命を頂きます。それは生きる為に仕方のないことかもしれませんが、そこには悲しみがあるという事ではないかと思います。その悲しみを知ることが大事なのかもしれません、悲しみを知ることで生きることへの有り難さ、もったいなさが生まれてくるのではないかと思う事です。命を頂き同時に悲しみも頂いていく、身体を満たし同時に心も満たしていく、悲しみを受け取り毎日の生活を精いっぱい生きること、それがお得度中の食事には込められていたのではないかと思う事です。
これからも食事は毎日することかと思います。楽しく食事をするのは良いことだと思いますが、同時にそこにある悲しみも受け取っていく、そんな瞬間を作ることが大切なのかもしれません。「いただきます」「ごちそうさま」と手を合わせている間だけでも目の前の命の方に自分を向けていく、そういった生活をご一緒に歩ませて頂ければ有り難いことだと思います。合掌。
南さつま市 福田寺 櫻井惇紀
