以前、インターネットでおもしろい記事を見つけました。それは、スマホで使われている、ある絵文字に関することなんですが。土下座をしている絵文字がありますよね。顔の前に両手をついて、その顔の上には、汗がパッパッパと出ている、あれです。私の場合、LINEなんかで「ちょっと遅れます」というような言葉の後に、土下座の絵文字を使うことがあります。
ちなみに、この絵文字というのは、なんと日本発祥だそうで世界共通らしいです。ですから、土下座の文化がない。さらに、そのもの自体を知らない海外の方のスマホにも、土下座の絵文字が入っているんだそうです。
私が見たネットの記事というのは、『土下座を知らない海外の方の勘違い』というものでした。どうも一部の海外の方には、この絵文字が『腕立て伏せで汗をかいている人』に見えているんだそうです。顔の前に両手をついて、その顔の上には、汗がパッパッパと出ている絵文字ですから、確かにそう言われてみれば、そんなふうにも見えます。
つまり「ちょっと遅れます」という言葉のあとに、土下座の絵文字をつける。すると、一部の海外の方には『筋トレ中なので遅れます!』という意味に理解されるということです。ん~・・・まずいですよね。人を待たせてまで、筋トレはするものではありません。
この記事に出会って、改めて気付かされました。同じものを見ていても、その見え方は人によって全くちがうということです。本当は誰一人として、自分と全く同じ景色を見ている人はいないんだろうと思います。親子でも、兄弟姉妹でも、パートナーでも。これまでの経験や、自身の置かれている環境など、自分専用のフィルターを通してでしか、ものを見ることができません。
これって分かっているようで、分かっていないことかなと思うんですが。私が見ているものがすべてではない。それは私には、そう見えているだけです。私が考えていることが決して正しいことではない。それは、私の都合の上では正しいだけです。そうしたことに思いを馳せるのも、仏教的な考え方なのかなと思います。
いつも一貫して、そういう視点を持って生きていくのは難しいかもしれません。しかし、自分のものの見方がすべてではないということを、頭の片隅に置きながら生活できればなと自分自身に問いかけています。
もちろん、この土下座の絵文字の記事をおもしろく感じるかどうかは、人それぞれです。
鹿児島市 明楽寺 高木哲士
