「鬼滅の刃」というマンガがあります。映画化もされ大ヒットしました。
時代は大正時代。少年炭治郎は、妹以外の家族を鬼に殺されます。唯一生き残った妹も鬼と化していくという状況の中、鬼殺隊(鬼退治集団)に入り、世のため、妹を人間に戻すため、鬼たちと戦うという物語です。
鬼は人間を食べると成長する(強くなる)ので、どんどん襲って殺して食べていきます。めちゃくちゃ怖いですし、腹も立ちますが、物語の中で、鬼になったいきさつとかも描かれます。
ある鬼は人間であったときに、病気の父親に薬を飲ませたいがゆえ盗みを働き、江戸を追放されます。彷徨う中、とある武術道場の主と出会い、武術を習ったり病弱の娘の世話をしたりする中で、いい方向に進み出します。しかし隣接する剣術道場の連中の腹いせによって世話になった道場主やその娘を失います。自暴自棄になっているその時に鬼の主に出会い、鬼となっていきます。
また、鬼殺隊の隊員の人生も描かれます。身寄りのない子どもたちの世話をしていた者は、子どもを鬼から守るために死に物狂いで戦いますが、子ども殺しの容疑を掛けられ投獄されます。そこで鬼殺隊の主に救われ、入隊します。
私は、この二人は、大変なその時に鬼に出会うか、鬼殺隊に出会うかで、逆もあり得たのだろうなと思いました。
ある時、親鸞聖人はお弟子の唯円さんに尋ねます。
聖人)「私のいうことを信じるか? 言う通りにするか?」
唯円)「それは、そのとおりにいたします」
聖人)「私が人を千人殺したら救われると言ったなら、殺せるか」
唯円)「聖人の仰せではありますけど、一人も殺すことはできません」
聖人)「ではなぜ私の言う通りにすると言ったのだ。このことから分かるのは、何事も自分の思う通りにできるのであれば、救われるために千人殺すことができるであろう。ところが千人どころか一人も殺すことができないというのは、そういう縁が無いからだけであって、お前の心が良いからというわけではないのだ。逆に、殺さないと思っていても、縁があれば百人・千人殺すこともある。
(中略)
縁があれば、どんなことでもしてしまうのだよ」と。
「絶対的な善人も、絶対的な悪人もいないのだ。縁によっては、何をしてしまうか分からないのが私たちなのだよ。」とのお示しであります。
指宿市 乗船寺 藤岡義尚
