今、私の実家では犬を飼っています。撫でられる事が大好きでかまってほしい時は上目遣いで訴える様な可愛らしい愛犬です。もう飼い始めて8年以上になり中年犬とも言えるような年に差し掛かっていますが実年齢は定かではありません。愛犬は元々施設に保護されていた保護犬でした。
家に来てすぐの頃、体は痩せ細り、誰にも心を許さず壁のある状態でした。食事を準備しても人が近くにいると食べようとしません。そんな愛犬も家族の献身的な世話によりすくすく育ち、 周りの人に心を許すようになりました。今では元気な姿を見せてくれますが、初めて会った時の 姿を思うと身がすくむ様な思いです。
昨今、保護数の減少や保護された動物が譲渡される例も多くなってきましたが、依然として殺処分や飼育放棄により亡くなるいのちがあります。なぜ不当に失われるいのちがなくならないのでしょうか。
動物を飼うという事はそのいのちに向き合い共に生きる事だと感じます。私たち人にいのちがあるように動物にもいのちがあります。これは当たり前の様で当たり前ではありません。
仏教に「他生の縁」(もしくは多生の縁)という言葉があります。どんなことでもそれは深いご縁によって成り立つという意味です。
私たちが数多くのいのちがある中、人としてのいのちをいただき、誰にも代わることの出来ない「わたし」の生を歩むように、動物も又、誰にも代わることの出来ないいのちをいただいて、 それぞれの生を歩みます。どのいのちであっても様々な深いご縁によって成り立っているのです。
動物を飼う上で生態の理解や飼育環境の整備など知るべき事は山ほどありますが、まず、様々ないのちがある中、出会えたこのご縁に感謝するとともに、目の前のいのちは私と共に歩んでく れる尊重すべきいのちだといただきたいものです。
阿久根市 西徳寺 大草真教
