ようやくお盆の時期が過ぎました。毎年言っているような気がしますが、今年はことのほか暑く、非常にキツイお盆参りだったように思います。このままだとお盆という行事を6月くらいにずらして勤めなくてはいけなくなるかもしれませんね。
さて、お盆という行事は一般的には仏教行事だと思っていらっしゃる方々が多いのではないかと思いますが、その風習は中国や日本の様々な民族宗教・思想・習慣等がごちゃ混ぜになって成立しているものです。ですから「お盆ってこういう行事だよ」とされていることの中で、浄土真宗の教えとはそぐわないものが多々あります。そのひとつが「お盆は一年に一度帰ってくるご先祖様(死者)をお迎えし、接待し、また送り返す行事」というものです。亡くなられた方々は一年に一度戻ってくるのでしょうか?
私たちの教えでは、阿弥陀仏のはたらきにおまかせして浄土へと往きて仏となり、この迷いの世界に還ってきてのちに続く方々を見守り、導くはたらきをすると聞かせて頂きます。ですから、亡くなられた方々は一年に一度戻ってくるのではなくて、仏様となられていつでも私とともにいてくださり、私をお浄土へ導こうとはたらき続けてくださっているんですね。
「涙そうそう」という曲があります。この曲に「悲しみにも 喜びにも おもうあの笑顔 あなたの場所から私が 見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく」という歌詞があります。私は何かにつけてあなたのことを思い出して悲しみに沈んでしまうけれども、あなたが私のその姿をちゃんと見守っていてくれるなら、必ずまた会えるから大丈夫ということですね。「私から見えているか」ではなく、「あなたから私が見えているか」が大事だと歌っています。そして、この歌詞のいいところは「きっといつか 会えると信じ」ているけれども、「会いに行く」のではなく「生きていく」と歌われているところです。見守られていると気付くことが、私が今日を「生きていく」支えとなるということなのだと思います。
阿弥陀様はどんな時でも「あなたの命を見ているよ。あなたの命に寄り添っているよ。」とはたらき続けていてくださいます。そのことを聞かせて頂きながら、「さあ、また一年精一杯生きていこう。」と感じるお盆であって頂けたらと願うことであります。
南さつま市 顕證寺 藤直亮
