私のお手伝いしているお寺には、こども園が隣接されています。
園では、ある女の子が砂場で見つけた小さな小さな貝殻を「貝殻がたくさんあった」と、うれしそうに自分のくつ箱に集めています。
ある男の子は、シロツメグサやハルジオンを「お花があった」と言って、保育士にプレゼントしてくれます。
園児のすがたを見ていると、子どもたちの見ている世界と、私たち大人が見ている世界とは、見ている世界が違うなぁと気づかされることがあります。
『星の王子さま』という小説に次の言葉があります。
“おとなは、だれも、はじめは子どもだった。 (しかし、そのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない)”
みんなはじめは子どもだったという事は当たり前のことですが、いろいろなことを学び、経験する中で、はじめて見たりふれたりするものへの純粋な感動や驚き、何かをやってみようという好奇心、自由な想像力など、だんだんと忘れてしまっているのかもしれません。
大人にとっては、何の価値もない小さな貝殻でも、子どもにとっては宝石のように見えたり。大人にとっては、シロツメグサやハルジオンは雑草でも、子どもにとってはキレイな花に見えたり。子どもの見ている世界に想像をふくらませて、その気持ちに共感したいものです。
お経に説かれている仏さまの教えも、私たちの価値観とはかけ離れたお話、私たちが生きている世界とはかけ離れた世界のお話のように聞こえるかもしれません。
ですが、仏さまの教えを聴くときは、「私はそんな世界には生きていない」「そんな世界はあるはずがない」と否定する必要はありません。「仏さまがみている世界は、私がみている価値観とは違う世界の話なんだな」「私の知らない世界があるんだな」と、仏さまがご覧になる世界に想像をふくらませてみることが大切です。
日置市 盈泉寺 佐藤一樹
