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41「人生の目標は?」

 連日テレビなどで報じられているアメリカのメジャーリーグの大谷翔平選手。投手と打者の二刀流で、連日大活躍です。その大谷選手、高校の時には夢に向けて必要なことをノートに書き出して、実現に向けて日々努力していたと言います。大谷選手に限らず、野球、サッカー、ラグビー、卓球、バドミントンなど、スポーツ界で活躍している選手は、自分の目指すものをしっかり持って、日々努力を積み重ねていらっしゃいます。

 アスリートに限らず、実現したい目標を持つということは、ものすごいエネルギーを生み出すものです。将棋の藤井聡太さんは、5歳から将棋を始めて、6歳の時には「めいじんになりたい。」と夢を持っていたそうです。将棋の世界も、対局以外のところでの研究が不可欠。今はAIの力も借りて日々研究をしているそうです。

 

 以前あるアスリートの日常がテレビで報じられていました。怪我をして試合に出られない中に、リハビリをし筋肉を取り戻してグラウンドに戻るために、血の滲むような努力をしている姿がそこにありました。その厳しいトレーニングを積んでいる姿に、「とても私にはできないな。自分じゃ絶対無理。」とただ思うだけでした。

 あんなに厳しいトレーニングができるのは、「また選手としてグラウンドに立つ!」その明確な目標があるからこそ普通ではできないような厳しいトレーニングを、自らに課してやっていけるのでしょう。そう言う意味では、厳しいトレーニングをさせているのは、目標であると言っていいんじゃ無いでしょうか。目標があればこそ、そのトレーニングが意味のあるものになっているのです。

 そこまで大層なもので無いかもしれませんが、私たちの日常にも同じようなことがあるのではないでしょうか。来月の旅行、手に入れたいもの、なりたい自分、近い目標を持つことで、それまでの日々を前向きに生きていけるように思います。

 

 それでは、もっと長い期間で考えてみるとどうでしょう。この人生に、生き甲斐と意味を与えるものは一体なんでしょう。いつか終えていくと知りながら今日を生きる私たちは、いったい何を目指して行けばいいのでしょうか。仏教に限らず、本来宗教の持つ大切な役割は、この人生に目的与えると言うことです。「私は何のために生まれ、何のために生きているのか。私は何をめざして生きているのか。」それは、私が経験や知識で手にすることのできない人生の目標。ひょっとすると人生を通して求め続けていくものなのかも知れません。

 

薩摩川内市 善福寺 岡田晃昭