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38「心の携帯」

 お通夜やお葬式で、しばしば出てくる言葉、「生者必滅、会者定離(しょうじゃひつめつ、えしゃじょうり)」これは、「生まれて来た者は必ず死ぬ。出会った人は、いつかは別れる時が来る」という仏さまの教えにある言葉です。皆さんも耳にされたことは、お有りかと思います。この言葉を聞けば、悲しいことだけれども、人生っていうのは、その通りだなと感じる方も多いのではないでしょうか。

 

 先日、ジャーナリストの方が書かれたエッセイを読む機会があり、考えさせられることがあったので、お話ししたいと思います。

 そのエッセイには、「近頃、日本人は別れる人を見送ることが少なくなったのではないだろうか。これは嘆かわしい現象だと思う」と書いていました。「昔は、二度とこの人とは会えないかもしれない。だからこそ、別れを惜しみたい。この人の未来が幸せでありますように」との思いで見送りに行ったといいます。しかしながら、機械文明の発展は、そんな人々の切ない思いは、もう時代遅れだよといわんばかりに、いろんな便利な道具を私たちに提供してくれました。今では、ネット通信で、遠く離れた海外に住む方々ともビデオ通話で話しあえる時代です。

 しかし、機械は機械です。「どんなに便利になっても、肌のぬくもりは、どんどん少なくなっていくような気がします」とご門徒の方がおっしゃっていたのを思い出しました。

 その方は、「用事があったら、いつでも、これを使ってね」と娘さんから携帯電話を買ってもらったそうです。そこで早速、電話をすると、最初のうちは機嫌よく応じてくれたものの、最近では、「大した用事でもないのに、そんなにしょっちゅう電話してこないでよ」といわれたそうです。

 ジャーナリストの方は、「携帯電話は、現代人から別れの中にある人生の教訓を見失わせているのではないだろうか」と提言しております。そして「現代文化の見落としている点は、『繋がりっぱなし』にある」とも指摘しています。

 そう指摘されれば、私も手にしている携帯電話を見つめ直したくなりました。いつでも連絡できるという安心感はあるものの、時には、この繋がりから解放されて、もっと自由でありたいと思うこともあるからです。もちろん、僧侶の私は、ご門徒の方々にご縁の大切さをお話ししています。

 しかし、お釈迦さまは、そのご縁にも、いつの日かは別れの日があることを心しておくべきだとお説きになっておられます。別れるからこそ、今のご縁を大切にしなさいという仏さまの教えを、心に携帯しておかなければならないと気づかされました。 

 

本願寺鹿児島別院 藤枝泰了