私がやっている保育園に先日新しいお友達が増えました。0歳の男の子です。これまで快適に過ごしてきたお家から離れて、全然知らない場所に連れられてきました。しかも、頼みの綱のお父さん・お母さんもいません。保護者の手から離れた瞬間からそれはそれは大きな声で泣き始めます。休むことなく泣き続けて、疲れて寝ます。目が覚めたら、また泣きます。私がいる二階の職員室にまで届く元気な声です。「今回の子はなかなか頑張るねえ。どのくらいで慣れてくれて泣かなくなるかねえ。」と話しながら見守っています。
数年前に「保育園落ちた。日本死ね」というSNSの投稿が話題になり、都市部での待機児童の問題が頻繁に取り上げられました。待機児童の問題というのは、あの時期に始まった問題ではなく、もっと以前から保育の世界では取り上げられてきたものです。問題への取り組みとして保育園の新設等の計画もたくさんあるのですが、地域における反対の意見もありなかなか思って通りに進まない現状もあります。反対意見の中にあるのが「子どもの声がうるさい」「静かな住環境が阻害される」というものです。
話題になっていた時期に、あるニュース番組で『子どもの声は本当に騒音なのか検証』というのがありました。結論としては「子どもの声は常に騒音レベルではないが、興奮した時などに出る声は騒音と言われる〇〇㏈を超えている場合があることが分かりました。これを不快と感じる方もいらっしゃるので、保育を行う側も十分な配慮が必要と思われます。」というものでした。
私はこのニュースを見ながら「なんと時間とお金を無駄遣いするかね」と思っていました。「時として、子どもの声はうるさい」検証しなくても当たり前に分かってることですね。だから、私たちが子どものころは「やかましいから、外で遊んで来い。」と親に言われてましたね。子どもの声がうるさいのと同じように、飲んでテンションの上がったおじちゃんの声はうるさいですし、井戸端会議のおばちゃんの笑い声もうるさいです。私たちは、皆「時として、人に迷惑をかける声を出す」んです。
違いは、それを「許し合える世界」に生かされているか、「許されない世界」に生きなければならないかの違いなのだと思います。私は「許し合える世界に」生かされたいと願っています。
南さつま市 顕證寺 藤直亮
