· 

7「ジョーカー事件」

 最近ニュースで京王線刺傷事件、通称ジョーカー事件の事を知りました。10月31日、東京の私鉄・京王線の電車内で乗客を無差別に襲い、その後、放火まで及んだ事件でした。18名の負傷者を出したこの事件の犯人は、24歳の男性でした。男性は動機について、ジョーカーというキャラクターにあこがれていた事、なるべく多くの人に危害を加えたかった事、そして、死刑になりたかった事など供述したと言います。ニュースを見ながら只々すごい事件だと思いました。

 ジョーカーとは、アメリカのコミック「バットマン」に登場する敵キャラクターの名前だそうです。私自信はそのコミックを未読なのですが「ジョーカー」という映画は見ていたので、ジョーカーというキャラクターは知っておりました。

 映画の内容は大まかに、アーサー・フレックという主人公が、発作的に笑ってしまう持病を抱えながらコメディアンになる夢を追いかけます、しかし、現実は厳しく貧困、差別、孤独に押しつぶされてしまい、失望と怒りの中でジョーカーになっていく、というものでした。

 映画を見ながら、社会的弱者という事について、とても考えさせられました。社会には精神的・経済的支援が無ければ生活出来ない人が必ずいます、しかし、そういった人に実際助けが入るかというと、決してそうはならず、逆に詰めていく社会になっているのではないかと思いました。映画終盤のアーサーのセリフに「僕が歩道で死んでも踏みつける、いつもそばにいるのに誰も僕に気付かない。」というものがあります。これは、弱者側から見た世界の本当の相ではないかと思わされました。

 人間の悪というものには必ず理由があって、それは社会的な不平等、理不尽、それに伴う苦しみから生まれてくるのではないかと思いました。最後にアーサーが怒りを爆発させるところや、その怒りに同調し暴徒となる市民(社会的弱者)たちも、自分たちの置かれている不平等、理不尽さに強くNOを突きつけている様にも見えました。

 京王線刺傷事件の動機の1つである「ジョーカーにあこがれて」という言葉の中に、もしかすればそうせざるを得ない環境があったのではないかと思わされます。たくさんの被害者がいらっしゃる中で、決して許されることではありませんが、その背景を尋ねる事、また私自身も弱者という立場に置かれれば、同じように罪を犯してしまうかもしれないことを忘れないようにしたいと思うことでした。

 

南さつま市 福田寺 櫻井惇紀