外国の方々からよく聞く言葉で、皆さんも耳にされたことがあるかもしれません。
確かに、ひらがな、漢字、カタカナを用いて構成される日本語は、他の国に例がなく非常に難解と言わざるをえません。
しかも、ほとんどの漢字には、読み方がいくつもあります。
更には、同じ漢字でも、読み方を変えるだけで、その言葉の持つ意味までもが変化をしているものもあります。
例えば、「自ら」は「みずから」と読みます。
しかし、同じ漢字ですが「自ずから」と、送りがなを「ずから」に変えると、今度は「おのずから」と読みます。
「みずから」といわれると、自発的、能動的、つまり自分が主体となって、積極的に何かに取り組む様を想像しますが、「おのずから」と言われるとどうでしょう。どこか自分が主体でなくても、そのような運びになった、という様な受動的な在り方を想像されると思います。
このように、1つの漢字で全く様子の違う表現がなされます。
何故その様なことが起こるのか、それは、日本人が他を敬うという文化と密接に関係しているからだといわれます。
例えば、結婚式の一幕。
新郎新婦が、集まった皆さまの前で挨拶をするとき、「この度、私たちは結婚することになりました」という表現を聞かれた事があるかと思います。
よくよく考えると、おかしな表現である事に気が付きます。もし英語圏、あるいはフランス語でも中国語でも、外国の方が、この結婚式に出席されていたら「あの新郎新婦は誰かに言われて無理矢理結婚するのか」と受け捉えられてしまう可能性があります。
なぜなら自分たちのする事を、する事になりましたなどと表現するからです。
或いは、お茶を入れたときはどうでしょう。
おそらく多くの方は「お茶が入りました」と言われるのではないでょうか。
これでは、お茶という液体が自分の意思を持って、湯呑みや急須に入っていったという意味になります。
つまり私たち日本人は、何気ない日常会話の中で、実はある主語を省略して会話をしているのです。
その主語というものが「お陰様」という言葉です。
結婚するのは自分達だけれども、これまで育ててくれた両親、友達、式場を準備してくれた方々、様々なご縁が重なり、お陰様で結婚する事ができました。
お茶を入れたのは自分だけれども、お茶を摘んでくれた農家の方達、なにより、飲んでくださるあなたがいて、ここに一杯のお茶が入りました。
日本人は、そうした何気ない言葉の表現、日々の暮らしの中で、自分が自分が、と自分を主語に置くのではなく、あなたこそあなたこそと、周り、相手のお陰様でした、と表現しているのです。
何気なく使っているあたりまえの言葉の中に、まさにご先達方が歩んでこられた、素敵な日本人としての文化、世界観を見る事ではないでしょうか。
薩摩川内市 光明坊 石神龍遊
