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60「祖母の臨終説教」

 祖母は老衰で、最後は、点滴だけで3ヶ月つないだ娑婆のご縁でした。母から『おばあちゃん「ご飯もういらへん」て言わはった。』という知らせを受け、私は『これは最後かもしれん』と思い、お見舞いに飛んで行きました。

 老衰といえど、身心共に弱っていき、目は片目しか開かず、(ハァ、ハァ、)と出る息入る息苦しそうな寝たきりの状態のおばあちゃん。お見舞いに行くと、『かっくん、よう帰ったなぁ』と息はつらそうにしながらも,いつものおかえりの文句で迎えてくれました。『おばあちゃん帰ったよ、いよいよ、お浄土に参らせてもろて仏さんに成らせてもらうんやな』と私が言うと『そうやで、かっくん、おばあちゃん仏さんに成らせてもらうんや、元気でな,ナンマンダブやで』とおばあちゃん。この時ほど共にお念仏のご縁に出遇えた事の有り難さを感じた事はありません。「浄土真宗には『死』がない」ということがありますが、阿弥陀様の『我に任せよ,そのまま救う』のお念仏のお救いをいただいかせてもらいましたなら、「死ぬのでなく,浄土に往き、限りなき仏様の命に生まれさせて頂く」のです。それを娑婆の縁尽きた未来にでなく、臨終を迎えん今ここでお念仏を慶んだもの同士行き先に安心した言葉でお別れしていけるのは浄土真宗,阿弥陀様の底力だなぁと味わう次第でした。それは「阿弥陀様がいてくださってよかった。いま自分は死にゆくいのちをいきているのでは無い。仏に成るいのちをいきさせていただいている。」と私と祖母でお念仏のお慈悲の有り難さの再確認でもありました。

 

 祖母は、さりながら、『さびしゅうなるなぁ』と泣きながらしゃべる私にこのような言葉も残して下さいました。

 

『かっくんなぁ,泣いちゃいかんよ泣いちゃいかんよ?みえへんだけやで?いつもおうてるんやで。なんまんだぶやで』

 

『浄土真宗でよかったなぁ,阿弥陀さんでよかったなぁ』『なるほど声はみえないけれど、いつも南無阿弥陀仏でおうてくださっている』とまた、お慈悲の再確認。

 『おばあちゃんも仏様成らせてもろうて阿弥陀様とご一緒させてもらうで』南無阿弥陀仏のなになってかえって来る気満々やんと聞こえんばかりの最後の祖母の『臨終説教』。今もあのおばあちゃんの臨終説教が、わたしのくちびるを南無阿弥陀仏とふるわせます。今年がそんな祖母の7回忌。

 

*本来臨終説教とは終わりに臨む時に最後のお説教をお坊さんにしてもらうものですが、今回は終わりに臨むおばあちゃんの最後の言葉を『臨終説教』と味合わせて頂きました。

 

霧島市 正福寺 田中勝彦