鹿児島には、皆さんご存じの「桜島」という火山があります。桜島は錦江湾という海に面しており、鹿児島市の海岸から桜島までは約4㎞の距離があります。鹿児島市内のある小学校では、児童が鹿児島市の海岸と桜島の間の約4㎞を泳いで渡るという行事があります。練習を積んだ小学生たちは4㎞を泳ぎ切っていきます。ですが、私を含めてすべての人が4㎞の距離を泳ぎきれるわけではありません。私のように4㎞泳ぐことができない人のためには、ちゃんとフェリーが用意されています。
突然ですが今、皆さんは鹿児島市内の港を出港し桜島港へ向かうフェリーに乗っていると想像してください。では、質問ですが、今皆さんが乗っているフェリーは、どこへ向かうでしょうか。
その答えは、「桜島」です。桜島港に向かうフェリーですから、この船は「桜島に向かっています」と答えるはずです。
「桜島行きのフェリーに乗ってはいるけれども、このフェリーは信用ならない。もしかしたら別の港に行くかもしれない。自分で舵をとらなければ信用ならない。」と思う方はいらっしゃらないと思います。桜島に行くということに関しては、「目的地にちゃんと到着するだろうか」と私が信じる・信じないに関係なく、フェリーに乗ったら、目的地までフェリーにおまかせするしか無いのです。乗せられたなら、私の力、はたらきには関係なく、乗せた船の力、はたらきによって目的の港に運ばれます。
浄土真宗の仏さまは、阿弥陀さまという仏さまの教えです。浄土真宗の宗祖親鸞さまは阿弥陀さまのお救いを“ふね”にたとえられます。
阿弥陀さまのお救いは、「私が頑張ったから救われる、私が立派になったから救われる、私が一生懸命信じたから救われる」というお救いではありません。むしろ、自分の力では、この迷いの海、煩悩の世界から抜け出せない私を見抜き、私を目当てとして、救いの船「南無阿弥陀仏」によって、私を迷いの海から救い、お悟りの世界に渡してくださるのです。もうすでに阿弥陀さまのお救いの船に乗せていただいています。「本当に救われるんだろうか、大丈夫だろうか。自分でどうにかしなければ」とあれこれと疑ったり、心配したりする必要はありません。私の仏さまへの道は、お救いの“ふね”阿弥陀さまにおまかせです。
日置市 盈泉寺 佐藤一樹
