あるお坊さんのお話で「物事には理由がある」と教えていただいたことがあります。
みなさまのご家庭に電気ポットはありますか。水を入れてコンセントを繋いでおくとお湯が沸いて急なお客様にも対応ができる、便利なすぐれものです。
電気ポットには設定温度があります。95℃・90℃・85℃と、良いものになりますと70℃まで設定温度があるのですが、70℃の設定温度はいつ使うんだろうかと思われたことはありませんか。
この70℃の設定温度は、電気ポットの開発をされる開発者の方が幼い赤ちゃんをご覧になってこしらえたのだというお話を聞かせていただきました。粉ミルクを作るとき、粉ミルクを溶かすために哺乳ビンに熱湯を注ぎ込むと、赤ちゃんの口には熱すぎるので水道水で冷まして飲ませることがあります。
ところがここで70℃のお湯を注ぎますと、季節にもよりますが、ミルクを溶かすとすぐに赤ちゃんが飲むことができる温度になるのだそうです。お腹を空かせて泣いている赤ちゃんがすぐにミルクを飲むことができるよう、70℃の設定がこしらえてあるのだというのです。
もう一つ、病院にはお医者さまがいらっしゃいます。
「あのお医者さまはなんでいらっしゃるんだろうか?」
それは、「病気になったりけがをしたりする人がいるからお医者さまがいらっしゃる」ということです。
これは逆にはなりません。「お医者さまがいるから病気になった」という人はいません。「お医者さんがいたからけがをした」というのもおかしな話です。この理屈は決して逆にはなりません。
実は、私たちが今手を合わせている、阿弥陀如来というこの真ん中の仏さま。この阿弥陀さまという仏さまにも存在される理由があるのだといいます。その存在理由を聞かせてもらいましたら、そこには優しくて温かい理由があるのだと教えていただきました。
「この阿弥陀如来って仏さまは一体なぜいらっしゃるのか」と、親鸞さまにお尋ねいたしますと、この阿弥陀さまって仏さまは、「悲しみ抱え、涙するこの情ある私のためにおいでになる」仏さまなんだと教えて下さいます。
「先に阿弥陀さまがおられて、私がおる」という話じゃありません。
「私がおるから、私のために阿弥陀さまがいらっしゃるんだ」というんです。
で、この理屈は決して順番は逆には出来ません。
阿弥陀如来と私の関係もそのようなものでありまして、「病人があるからお医者さまがいらっしゃる」ように、「この私がおるから、阿弥陀さまがいらっしゃるんだ」このアミダさまは、苦悩を抱える私のためにいらっしゃる仏さまなんだと聞かせていただきます。
私をご覧になって、「つらいね、悲しいね。あなたの悲しみを全部知っているよ。放っておけないから、いつでもあなたのそばにいるよ。あなたが心配で心配で仕方がないから、あなたのそばから離れることのない声の仏になりました」とおっしゃる私のために仕上がってくださった仏さまがアミダさまです。
あなたのために、声となってそばにおることができる仏さまになりました。「あなたのために、あなたのために」と声の仏となってくださった、そんなお優しい仏さまがみなさまのひと声、ナンマンダブツの阿弥陀さまです。
本願寺鹿児島別院 荒田出張所 一條和真
