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52「あけましておめでとうございます」

 西暦2024年になりました。日本の元号では令和6年。仏歴では、2567年となりなりました。

 

 本願寺鹿児島別院では、毎年除夜の鐘を撞いている時に年が明けます。除夜の鐘の列に並んでいる方とともに年をまたぎ、「新年あけましておめでとうございます」と挨拶を交わします。境内では、「明けましておめでとうございます」の声がそこらじゅうで咲き乱れます。

「明けましておめでとう」という言葉は、一年を無事に過ごせ、今年も一年命あることを願う言葉であると思いますが、それを私に教えてくれた、とあるおばあちゃんがいました。

 そのおばあちゃんの家には、毎月三回お参りにお伺いしていました。よくご自身の話やご家族の話、玄孫(やしゃご:ひ孫の子)の話などを話してくれていました。ある時そのおばあちゃんが「よく夜中にトイレにおきるんですよ。歳を取ると睡眠も浅く、2回も3回もトイレにいくんです」と話しの途中にふとおっしゃったので、「大変ですね」と返したところ、「なんも大変なことはないですよ。起きれたことだけで、まだ生きているんだなとありがたい限りです」とおっしゃられたのです。そのおばあちゃんの一言に私はハッとさせられました。いつも仏様のお話をする中で、「諸行無常。私たちは、もれなく必ず死ななければならないですよ」とお話をしている私は、目が覚めることに「ありがたい」と思ったことはなかったのです。毎朝毎朝、「ねむい。ねたい。仕事かぁ」と目覚めていた私は、目が覚めることが「当たり前」だと思っていたのです。

 皆さんはいかがでしょうか?もちろん一日、一日を大切にされている方も多いでしょうが、一日一日布団で眠ることができること、そして目が覚めることが当たり前ではなく、「ありがたい」と思ったことはありましたでしょうか?

「明けましておめでとう」という言葉は、その一日一日の積み重ねで、年が変わったときの一年間の集大成の言葉でありました。

 

本願寺鹿児島別院 暉峻康信